喘息になってしまった

2021年1月1日

8月14日に「お墓参りサイクリング」をして以来、まるまる2ヶ月振りにサイクリングに行ってきた。

この8月のサイクリングで予想以上に疲れてしまった事をきっかけに、介護や失業・再就職の不安などさまざまなストレスが重なった事も併せ、いい年をして喘息になってしまった。

子どもの頃に患っていた小児喘息が中年以降に再発する事もあるらしく、どうもこの喘息発症は治りきらなかった小児ぜんそくが目を覚ましたことみたいだ。
加えて、私の場合はこの3月に患った肺炎によって体力が低下したことも喘息再発に拍車を掛けたのかもしれない。

とにかく9月以降は秋の花粉症も重なり、子どもの頃以来の苦しさに体を動かすことができない悶々とした日々を送っていた。

幸いにも、コントローラーと呼ばれる「長期管理薬」とリリーバーという「発作治療薬」のおかげで体調も戻り、一年の中でも走りやすいこの10月に再び自転車に乗る事が可能になり、いつもの富士川まで走りに行ってきた。

ただ…2か月近くダラダラしていたことによる体力低下は著しく、これまでそこそこ登れていた坂では息も絶え絶えになり、海岸線の平地では多くのサイクリストに追い抜かれる始末…
太ももは筋肉痛に悲鳴を上げ、背中と首は凝り固まってくる…。

筋肉は落ち、その代わりに腹回りにはぜい肉は豊満に蓄えられ、尿酸値や中性脂肪値は基準を大きく超え、血圧も最高値を更新している。
失ったものの大きさを身をもって思い知らされている。

50歳を過ぎての病気は致命的だ…

道沿いに建つお寺の法語が身に染みる。
失ってから初めて幸せに気づくもの…いくつになっても成長しない自分に悲しくなった晩秋のサイクリングだった。