母の悩み
このところ母の体調が悪く、こちらまで気が滅入る日々が続いていた。
朝8時頃に目覚め、朝食を少し食べたあとは1日中寝入り、夕方に少しばかりのご飯を食べたあとはまた寝入ってしまう。
95という年齢的にも「こりゃもうそろそろかなぁ…」という考えが頭を過ぎり、訪問看護師に急遽診ていただいたところ「どうも精神的なものから来るようですね…」とのことであった。
人間誰しも悩みがある。
特に歳を取ると悩みのタネが一つづつ増え、その悩みが肥大化してその人を飲み込んでしまうとのこと…
訪看さんが帰ったタイミングで、母と話をしてみたところ、「体が痛い…」「耳が遠くなってしまった…」「体が動かない…」などという歳相応の悩みのほか「できていたことができなくなってしまった…」という喪失感や「お父さん(旦那)が理解してくれない…」などという怒り、「あんた(私)に何もかもやらせてしまって申し訳ない…」という謝罪の気持ちなど、ありとあらゆる負の感情に苛まれていることが分かった。
特に、排泄に関しての悩みは人としての尊厳を打ち砕いてしまうようで、先日便失禁をしてしまったことが相当心に痛手を与えてしまっていたようだ。
私自身、障害を負ってしまったことで失ったものは少なくない。
身体的な損失、社会的な損失…母の感じる喪失感もわからなくはないが、母が感じている喪失感の足元にも及ばない。
特に、死に向かう恐怖は想像すらできない。
どうしたら母の気持ちが楽になるだろうか…
話すこと…聞くこと…寄り添うこと…
その答えは、たぶん母を見送る時まで探し求めることになるだろう…。
ディスカッション
コメント一覧
こんにちは
長年できていた事ができなくるって、喪失感が凄そうですね。
あまりに重なると前向きに考えるのも難しくなりそうで悪循環なのかも?
後ろ向きに考えても仕方ないので、もっと前向きに。。と言えるのは当事者じゃないからかなと思えます。
難しいですね。
寄り添い続けるのも大変かと思います。
それだけだと辛いかと思うので、うまく息抜きが出来るといいですね。
しげさん、コメントありがとうございます。
歳をとることで喪失感を覚える…それも、長生きすればするほど喪失体験が多くなるのでうつになる可能性が高い…本などで読んでわかってはいるつもりでしたけど、実際に母と話をしてみてその喪失感の大きさに驚くと同時に、それを経験している母の苦しみが幾ばくかと切なくなってしまいました。
おまけに、死というものが近づいてくる恐怖も重なるのですから、のうのうと生きている私には知る由もありません。
特に母の場合は頭がそれなりにしっかりしているから、余計につらい思いをしているのでしょう。
変な言い方かもしれませんが、認知症になるってのもある面では意味のあることで、楽に終末を迎えることかもしれません。
がんばれ!というのもピントがずれているし、何か助言をするのも筋違いだし、結局は寄り添って話を聞いてあげることしかできないというのが現実かもしれませんね。
あとは、私がつぶれないように息抜きをしなければならないのですが、これがまた結構難しいというのが正直なところです。
親の介護というのも結構大変で辛いものですが、身近にいる者が死に向かっていく姿を見るということは、自分自身を振り返りよりよく生きる道しるべとなることかもしれません。