清水港ぐるっとポタリング(前編)

2024年10月28日

港湾都市清水が全盛を誇っていたころ、木材や造船などの産業資材を運搬するためのローカル線が清水駅を起点に三保半島の先まで通っていた。

「国鉄清水港線」

まだ残暑の残る晴れ上がった秋空の下、40年前に廃止されたその廃線跡をたどりながら、港をめぐる水上バスを利用して清水港一周のサイクリングに出かけてみた。

起点はもちろんJR清水駅東口

今では「マリナート」と呼ばれる文化会館ホールや「静岡市東部勤労者福祉センター」などが建ち、自転車兼歩行者専用道が整備されて小洒落た雰囲気に変貌したこの一画。
以前は多くの貨車が停められていた貨物駅ヤードがあり、その並びには「シーチキン」で有名な「はごろもフーズ」や、冷凍マグロの倉庫、「豊年製油」と呼ばれていた「Jオイルミルズ」の工場が建ち並ぶ雑然とした場所であった。

そこから南に延びる、港湾道路の高架脇に建つ工場と市役所に挟まれた廃線跡の遊歩道を通って先に進むと「清水港線」のモニュメントがぽつんと設置してあり、その説明文に清水港線についての詳しい説明が記されている。

その一部を抜粋すると「1944年に開業し、高度経済成長期には日本一の黒字路線となった。1984年3月31日に廃止された」とのこと。

私の記憶に残る清水港線は黒字だったという面影は全くなく、ディーゼルの黒煙を上げながら走る貨物列車の思い出しかない。

そのすぐ先には、以前は材木の水揚げ基地であった「清水港駅(貨物駅)」跡地に整備された「エスパルスドリームプラザ」と「しみずマリンパーク」がある。

きれいな商業施設とヨットハーバー、それに水遊びの出来る人工海浜やボードウォークが整備され往時の姿は全くない。
もう二度と使われることのなくなった木材の水揚げ施設だった「テルファークレーン(国指定有形文化財)」がこの場所の歴史を語る証人として唯一残されているのみだ。

貿易港・産業港の印象が強い清水の港。
この周辺だけが観光港…ウォーターフロントの装いで、多くのクルーズ船の寄港や観光客で賑わいを見せるが、ここから先はトラックが似合う港へと変貌する。
とはいっても、トラックが行きかう賑わいは過去のものだが…。

廃線跡も倉庫の間を抜けたり、工場の敷地の合間を抜けたりする。
たぶん、この場所が唯一清水港線が現役だった時期の姿が垣間見える場所かもしれない…。

廃線跡の遊歩道から少し外れ、木材チップの集積場のある富士見埠頭に回ってみる。

この埠頭での荷扱いは今は木材チップが主流となっているが、その昔は輸入材の丸太が所狭しと浮かぶ貯木場だった。
平成の時代になってから丸太としての輸入が減少し、それとともに近くにあった合板工場が撤退したことで令和3年に貯木場が廃止された。
水面に顔を出す「ピア」という木材の係留杭が今もなお残り、その歴史を示している。

今やヨットハーバーであり良い釣り場らしい…。

さて、先を急ごう。

三保半島の付け根である「折戸」という場所から先は、廃線跡はこれまでのような工業地帯とは異なり住宅地の軒先を縫うように続いている。

昔もこのようだったのか知る由もないが、このあたりは造船業や窯業などの重厚長大な産業を支えていた人たちが居を構えていた地域だ。

日本中どこも同じかもしれないが、時代の流れとともに重厚長大な産業で潤った街は新しく更新されることなく寂れていく。

廃線跡を三保に向けてたどってみると日本の産業が隆盛を迎えたのちに衰退していった歴史をまざまざと見せつけられているようだ。

そんな過去の置き土産のようなディーゼル機関車とアルミナ輸送用の貨車が見えてきたら終点の三保駅

ホームの名残も「兵どもの夢のあと…」という感じだ。

さて…ここまでが清水港線の廃線跡をたどるサイクリング。
この先は歴史をさらに遡る神社や史跡などをたどり、水上バスに乗って清水駅東口に戻ろうと思う。

清水港ぐるっとポタリング後編はこちら→
※10月28日午前8時に公開予定